「お腹すいた…」

強い空腹に流されるままに、よろよろと歩く。穣子様と静葉様はどこかに出掛けられていて、二人を呼ぼうにも呼ぶことはできない。しかしこのままでは僕の方が飢え死にしてしまう、何とかしないと…。

秋の神様である静葉様、穣子様のもとに神職として居候させてもらうようになってから、そろそろ1年半ぐらいになる。
1cmにも満たない体で生まれてきたことを「妖怪だ」などとレッテルを貼られ、両親を殺された挙句、秋の神様の生贄にされそうになっていた僕。
僕自身、秋の神様を信仰していたこと、そして当時がどん底の状況であったことも相まって、生贄にささげられること自体に抵抗は無かったけど、そこを救ってくださったのが他ならない静葉様と穣子様だった。
いわく「生贄なんて儀式は私たちにしてみれば馬鹿馬鹿しい話、大切な信者を一人殺してまで喜ぶ神様なんていない」。その言葉を聞いて、ますます僕はお二人のことが好きになった。


しかし、今はそんな馴れ初めを思い出す暇は無い。何しろ空腹なのだ。
昼ご飯を食べて3時間、いつもなら3人で間食でもしようかというところなのだが、肝心の穣子様と静葉様は外出中。
仕方なく、自分で何か食料を探そうとするが、いつも食事はお二人が出して下さるので、何処にあるのか分からないという有様。
それでも何とか5感をフル活用して、いつも食事をとるテーブルに上ったところ、そこには何とまぁ垂涎な光景。

「うわぁ…」

ため息が出る。きっと穣子様が用意していて下さったのだろう。皿の上に乗った(僕にとっては)巨大なスイートポテト。
少し時間が経っていて、出来たてホヤホヤというわけではないが、その美味しそうな出で立ちは僕の食欲をそそるのに十分だった。

目の前に美味しそうなものがあるのに、これを食べない手は無い!僕は大喜びでスイートポテトの乗った皿に走って行った。





「お腹すいた…」

ようやく一仕事終えて帰宅する。お姉ちゃんはまだ帰ってきていないみたいだ。いちおう…のためにお菓子作り置いてたんだけど、あの子食べてくれてるかな。
と、食卓に入ると、出掛けた時と同じように盛りつけられているスイートポテトが目に入った。

「あちゃー、結局気付かなかったのか。今頃…、お腹すかしてるだろうなぁ」

きちんと前もって伝えておかなかったことを悔やみつつ、私はついつい空腹に任せて、皿に乗ったスイートポテトを1つ手に取った。





「!?」

甘くて甘くてほっぺたが落ちるようなスイートポテトの上に乗って、まるでアリのように夢中に食べていると、突然スイートポテトごと誰かに持ち上げられる感覚に襲われた。
視線を別の方向に向けると、目の前に巨大な顔。それが穣子様のものだということにはすぐに気がついた。
どうやら、僕が夢中でスイートポテトを食べている間に、帰ってきていたらしい。
僕のこと探してるのかな…とちょっと考えたが、すぐにその考えはかき消された。穣子様、僕に目線を向けることなく一度ペロッと舌舐めずりをすると、

「あ~ん」

大きく口を開ける、僕と同じ、空腹だったんだろう。目の前には唾液の糸、白くて綺麗な歯の真ん中に、肉厚で唾液濡れになった舌がでんと鎮座している。
うそ、ちょっと、冗談でしょ、神様。今までに戯れで食べられたことはあっても、気付かれずに食べられたことなんて一度も無いのに。お願い!気付いて!食べないd





「あむっ」

大きく口を開けて、スイートポテトを頬張る。その上に…が乗っていたことなんて、空腹の私が知る由もない。

(う~ん、美味しい!)

作り慣れてはいるものの、今回のスイートポテトは特に美味しかった。口の中で入念に舌を動かし、その味を良く確かめる。と、

「…?」

あれ、何かコロコロしたのがあるな。凄く小さくてそれが何なのかは良く分からないけど、私の舌はその存在をしっかりと認識していた。
しかし、それもきっとお芋の塊だろう、とこともなげに流し、しっかりと自身の舌で味わう。そしてそのままそれを、噛み砕かれてグチャグチャになった食塊と良く混ぜ合わせる。

(ん…んくっ)

ごっくん。コロコロしたものと一緒に一口目ようやく飲み込む。ちょっと頬張りすぎたか、食道を押し広げるように食塊が通り過ぎていくのが感じられる。ちょっと苦しい。
しかし、それも一瞬のことで、私はさっきのコロコロしたもののことなどあっという間に忘れて、スイートポテトの二口目に取りかかった。





ごくん、ごくん…

良く噛み砕かれたスイートポテトの塊に埋まる形で、僕は穣子様の食道を下って行く。塊が大きすぎたのか、いつもなら良く聞こえる嚥下音が今回は良く聞こえてこない。恐ろしく静かな状況が、僕にはかえって恐怖心を煽った。

(このままずっと、気付かれなかったらどうしよう…)

十分にあり得る状況だけに、僕の心は震えあがった。そうだ、このまま気付かれることなく食べ物の1つとして消化され、栄養となって穣子様の体の中を巡ることになるんだろうか。秋の神様を信仰していた身としては、こういう終わり方も決して悪いわけではない。でも、一年半をお二人と過ごした中で、突然にこんな形で終わりを迎えてしまうなんて…、そう考えると、僕は凄く寂しくて、悲しかった。
やがて、下降が止まる、僕を埋めた食塊が噴門をゆっくりと押し広げているんだろう。そして、再び落ちていくような感覚が襲う。

―ドチャッ

ついに僕とスイートポテトは、穣子様の胃の中に到達してしまった。





「ふぅ、美味しかった」

スイートポテトを1個食べ、一息つく。お腹を撫でると、かすかにゴロゴロ…と音がする。これでようやく腹の虫が落ち着いたかな…と思いきや、

「うーん…まだ満足しないなぁ…」

今食べたスイートポテトで腹1分目ぐらいか。間食とはいえもう少し食べたい気分にもなる。とりあえず水飲み場に行って1杯飲んでみたが、私の胃袋は食べ物を欲しがっているようだ。

「まぁ、いいか。食欲の秋だし」

食料はまだたくさんある。何か作って食べようと、自分でそんなことを呟きつつ、私は炊事場に戻った。





「ふえ~…」

食塊を掻き分け掻き分け、ようやく顔を出したと思ったら頭上からの鉄砲水。きっと穣子様が水を飲んだんだと思うけど、そのおかげで僕のことを巻き込んでいた食塊も崩れて、僕はようやく食塊から解放された。
解放されることによってようやく見えるようになる辺りの様子。くすんだピンク色の胃壁に粘液がテラテラと光っている。自分の付近に目をやると、噛み砕かれたスイートポテトが泥状になって、浅い湖の中に溜まっているという状態だった。
すぐに水や食物の中を泳ぎ、一番近い胃壁の岸にたどり着く。すると穣子様の胃壁は、まるで僕を待っていたかのように僕の体を柔らかく受け止めてくれた。
その暖かさに、思わず安堵のため息が漏れる僕、でもまだ、心中は気付いてもらえなかったという寂しさでいっぱいだった。





「いっただっきまーす」

秋刀魚の塩焼き、ほっかほかのご飯、ちょっと贅沢に松茸のお吸い物、そしてデザートにフルーツ…。机の上に並んだ料理の数々、お姉ちゃんの居ぬ間のちょっとした贅沢だ。
こんなに食べちゃうと晩御飯入るかどうか怪しいけど、ま、いいや。

「それにしても、…、どこいったのかな」

あれからいろんな所を探したけど、結局…は見つからなかった。見つけたら一緒に食べようと思ったのに。
ま、とりあえずまずは腹ごしらえ。あのサイズならそこまで遠くへ行ってもいないだろうし。あ、でも…のためにちょっとこの料理は残しておこう。

そう決めると、私はさっそく箸を動かし始めた。





突然の水しぶきに、うつらうつらとしていた意識が覚醒した。音の出どころを確かめる前に、またボチャンと第二波。
その音でようやく僕は、穣子様がまた食事を始めたということに気がついた。

(何食べてらっしゃるんだろう…)

上空からの爆撃に気を付けつつ、落ちてきた食塊に近づく。唾液の匂いに混じって、魚の香りがしてきた。
また、その近くの食塊を調べてみると、すぐにご飯だということも分かった。穣子様、よっぽどお腹が空いていたんだな。

などとのんびり考えているうちに、あたりはいつの間にか食塊ばかりになっていた。
わわ、ちょっとまずいぞ。このままじゃまた食べ物の中に埋まっちゃう。

そう思った僕は、再び上空から落ちてくる食塊に注意して、また食塊に足をとられないようにしながら、元いた胃壁へと戻り始めた。





美味い、美味い。箸を止めようにもなかなか箸が止まらない。
食欲の秋と言うものは何と素晴らしいことか!旬の食材が多く手に入り、それをたらふく頂くことが出来る。そしてそれに味を添える空腹と言う最高のスパイスがかかってしまっては、一度爆発した食欲はなかなか収まらない。

秋刀魚の塩焼きは骨ごと良く噛んで、ご飯ごとごっくん
お吸い物はお汁を味わいながらゆっくりと、ごく、ごく
フルーツは最後に取っておくとして、合間合間に休憩がてら水を飲んでいく。ぷはぁ、美味しい!

いつしか私は…のことも忘れ、ただ食欲の赴くままに、目の前にある食事をバクバクと平らげていた。





穣子様が食事を取られている一方、そのお腹の中で僕は焦っていた。
食塊の爆撃から避けるように胃壁に向かっていたが、ただでさえ広い胃の中に、どんどんと溜まって行くドロドロした食塊に足を取られ、思うように動けないところに目の前を塞ぐように食塊が降ってきたおかげで、胃壁へ向かう術を失ってしまったのだ。

(とりあえず、上に行かなきゃ)

唾液と食物が混ざった匂いがさらにきつくなってくる。そんな中で、食塊が積もり、自分がいるところよりも少し高くなっているところを目指して、体を動かす。
食塊に手を掛け、あたかもロッククライミングのように登ろうとするが、良く噛み砕かれて泥状になった食物ではなかなか登ることが出来ない。ようやく魚の骨らしきものをとっかかりに上ってもさらに上から食塊が落ちてくる。さっきからその繰り返しだ。
しかし、手を休めるわけにはいかない。ちょっと気を緩めれば、たちまち食塊の中に生き埋めになってしまう。それでは消化される前に窒息死だ。
食物が入ってきたことで、血のめぐりが良くなったためか胃の中の温度が上がってくる。汗が噴き出る。僕はわずかに残った希望に賭け、力を振り絞って上を目指した。





「ふぅ~、お腹いっぱい!」

ずいぶんと食べてしまった。…のために残そうと思っていたのにな、と少し後悔もしたが、また見つけた時に作ってあげればいいや、と考え直す。
よーし、腹ごしらえもしたし、いっちょ…を探しますか。
水飲み場で水を一杯飲むと、私は意気揚々と、…を探し始めた。





ようやく穣子様の食事が終わったらしく、胃の中に静寂が訪れた。
僕の方はと言うと、穣子様が食べたもののおかげでグチャグチャのドロドロ。上へ上へと登って行く段階で、何度も食塊の海に埋まりそうになっては這い出ての繰り返しだった。きっと今、凄い匂いになっているだろうけど気にはならない。ここに辿り着く過程で、そんなことが気にならなくなるほど僕は疲れていたのだ。
でも、とりあえず、危機は去った。僕は安堵して、泥状の食塊の上に仰向けにドチャッと倒れる。その時だった、


―ザバーッ!


突然の鉄砲水だ!僕は虚を突かれてパニックになってしまった。しかし、これで終わりではなかった。何とか浅い水面から顔を出し、呼吸が出来るようになった途端、


ゴゴゴゴ…!


地鳴りのような激しい音。それと同時に、今まで堆積していた食塊が山津波のように襲いかかってくる!


グチャ…!グチャ…!


穣子様の胃袋全体が大地震のように蠢き、そのたびに内容物が撹拌される。もちろん、その中にいる僕も例外ではなかった。
きっと、大量に食物が入ってきて、胃も消化しようと躍起になっているのだろう。絶え間ない蠕動運動に、僕の体はなす術なく翻弄された。

(…!…!!苦しい…!)

内容物の撹拌に巻き込まれ、僕の体はすぐにその中に埋まって行く。まるで、僕のこれまでの努力を嘲笑うかのように。
だけど、それが大好きな穣子様の体内で行われているということを考えると、僕はなおさら悔しくて、小さく涙を零した。





どれだけの時間が経っただろうか、蠕動音が遠くなっていく。どれぐらい深くまで埋まってしまったのだろうか。
もはや抵抗する力は無くなってしまっていた。唾液と、わずかに分泌された胃液に浸され、今や粥状になりつつある食物の海の中で、僕はこれから「人間」じゃなくて「食べ物」として消化される。

(…くすん)

寂しい。

悲しい。

でも、ちょっとだけ暖かい。

気が遠くなって行く。酸素が足らなくなってきたんだろう。代わりに巡り始めるのは、これまで僕がお二人と紡いできた、いろんなこと。でも、もうそれもじきに出来なくなる。
まぁ、本来はこうして、生贄として捧げられる運命だったんだ。それが少し伸びただけ。むしろ、ここまで生かして下さったお二人には感謝しないといけないな…。
いつしか悲しみは覚悟に変わる。食塊の海の中、体を小さく丸めると、僕は静かに目を閉じる。


最期にお二人に挨拶出来なかったのは凄く悔しいけど、僕はこのまま、穣子様の身体に帰ります。


(さよなら…)


溶けかけの食物に、小さな僕の涙が染み込んだ。














「…?」

深く落ち込んだ意識が再び覚醒していく。あれ、確か僕は穣子様の中で…。
不思議に思いながら、僕はゆっくりと目を開けた。

「!」

目の前に現れた懐かしい顔、穣子様と静葉様だ。が、お二人とも様子がおかしい。特に穣子様は、目を真っ赤に泣き腫らしたような顔をしている。

「みのりこ、さま…?」

僕の言葉に、穣子様の顔がだんだんとくしゃくしゃになる、そして、

「うわあ~ん!!良かった、良かったぁ~!!!」

穣子様は手の中に収めた僕をぎゅっと胸元に抱きしめると、大きな声で泣き始めた。





あの後、何があったのか、静葉様が説明してくれた。
食事を終えた穣子様は、僕がどこにいるのかを探した、しかしいっこうに見つからなくて困っているところに静葉様が帰ってきた。困った穣子様が静葉様に相談したところ、静葉様は穣子様の体内に僕がいることを即座に見抜いた。
慌てた穣子様はすぐに奇跡を起こし、僕の体を外界に呼び戻した。しかしいつもやっているのとわけが違う。今回はどこに僕がいるのか全く把握できない。それでも穣子様は頑張って、何時間もかけて僕の体を外界に戻すことに成功した。

…と、大筋ではこういうことだった。

「まさか、…のこと知らずに食べちゃってたなんて、本当に、本当にごめんなさい…」

穣子様がいつもらしくない、消え入りそうな声で何度も謝ってくる。だから、僕はなるべく穣子様を刺激しないように、ゆっくりと話しかけた。

「大丈夫ですよ、穣子様」

僕は、いつも静葉様が見せているような笑顔を、穣子様に向けた。
確かに穣子様は僕を気付かずに食べてしまった。でも僕はそれよりも、その後穣子様が何時間もかけて僕を助けて下さったという、その助けたいという気持ちが嬉しかったのだ。

「…。」

穣子様が、僕の名前を呼ぶ。何でだろう、いつもだったらそこまで意識しないのに、今回に限って凄く意識してしまう。

「今回のことは、不注意だった僕も悪いと思います。だから、穣子様に、気付かれずに、た、食べられちゃって…」

だんだん、僕の声が涙交じりになる。心配かけたくないのに。でも僕の嗚咽は止められなかった。

「で、でも、穣子様…、お願いですっ…、も、もう、二度と、あんな、こと、うっ、グスッ…しないで…!!」

「…!!」

穣子様が、すかさず僕を抱きしめる。

「ごめん…、本当にごめんね…!!」

「穣子様、穣子様…!う、うわあああああああん!!!」

久しぶりに大きな声で、僕は泣いた。そして、もうこんな怖い体験はしたくないということを何度も何度も穣子様にぶつけた。
穣子様もそれに呼応するように、僕が焼きやむまで指の腹でゆっくりと僕のことを撫でてくれた。





あの一件があってから、僕には不思議な能力が付いた。
それは、穣子様と同じ「豊穣を司る程度の能力」がちょっとだけ身に付いたということ。ちょっとと言っても、ほんのちょっぴり。鉢植えの花に実をつけさせるぐらいの、子供だましのような能力だ。
穣子様が言うには、僕を体外で「作りなおす」時に、少しだけ穣子様の体の一部分を持ってきてしまったがためのことなのだが、穣子様も静葉様も「秋の神様の仲間が増えた!」と言って喜んで下さったのは、正直、嬉しかった。

でも、もう気付かれずに食べられちゃうのは、嫌だけどね。


END