ぼくのしりあいに、すごいおねえちゃんがいます。
そのおねえちゃんがじゅもんをとなえると、いろんなふしぎなことがおきるのです。
ぼくが「あめをふらせて」といえば、おねえちゃんはあめをふらせてくれます。
それから「はれにして」といえば、たちまちあめがやんでしまいます。

だけど、おねえちゃんのことを「まほうつかいだ」っていうと、おねえちゃんはちょっとこまったようなかおをします。
なんでなのかはよくわからないけど、ぼくはそんなやさしいおねえちゃんのことがだいだいだいすきです。





「早苗お姉ちゃん、こんにちは!」

聞き慣れた声に振り向くと、そこにはいつものあの子。またか、と思う反面、また会えて嬉しいと、私は笑顔を向けずにはいられない。
守矢神社に祀られている2柱、諏訪子様と神奈子様。そのお二人を信奉している人間の夫婦がいるのだが、この子はその二人の間に出来た子供。確か今年で10ぐらいだっただろうか。
夫婦が毎日参道を登り参詣している間、私は子守代わりに毎日この子を預かっているのだ。

「お姉ちゃん、また不思議なこと、いっぱい見せて!」

今日もきた。私は苦笑する。毎日会うたびに、この子は私に「奇跡」をせびってくる。
ここの神社の巫女である傍ら、風祝を生業とする私もまた、人々から現人神などと呼ばれ、信仰の対象となっている。
が、無論そんなことはこの子は知らない。私のことを、ただの魔法使いか何かと思っているのだ。

(私だって、神様なんだけどなぁ…)

そんなことを苦笑い交じりにぼやきつつ、それでも私は少年に喜ぶ顔が見たくて、その頼みを受け入れる。

「むむむむ…はっ!風よ吹け!」

ザザザ…、ビュオー!!

何とも陳腐な呪文(少年に聞こえない声できっちり詠唱はしているのだが)とともに、強い風が少年と私の髪を揺らす。

「うわぁー、凄いなぁ!早苗お姉ちゃん!本当に風が吹いてきたよ!」

手放しで褒める少年、その言葉に、だんだんと気分が良くなってくる。

「よーし、じゃあ今度は…、雲よ、私たちの上に集まれ!」

私の言葉に少し遅れて上空に雲が集まり、辺りが暗くなる、さらに、

「雨よ、降れ!」

大げさに腕を降り下げるポーズまで付けると、ぽつ、ぽつ…、ザーッ!!あたりはたちまち土砂降りだ。
そして最後に、

「もういい!太陽よ、この地に光を照らせ!」

天候が変わるたびにテンションが上がる少年を見て、もう私はノリノリだ。何ともこっ恥ずかしい台詞を叩きつけ、たちまち空には青空が広がる。

「すごい、すごい、すごいよ!早苗お姉ちゃん!」

大興奮で少年が私をキラキラした目で見つけてくる。その様子に私の鼻は伸びっぱなしだ。

「ふふ、どう?」

「うん!凄くカッコ良かった!僕、カッコいい早苗お姉ちゃん、大好き!」

あぁ、今日も至高の名言いただきました。私は天にも昇るような気分になる。外の世界では決して言ってもらえなかった言葉。
「大好き」。たとえ相手が年端もいかない子供であっても、私はこの言葉を聞くたびに、風祝で良かったなぁと思う。



やがて、少年の親が参詣を終え、少年も家に帰る時がやってきた。

「じゃ、また明日ね、お姉ちゃん」

笑顔で山を下りていく少年を見送りながら、私は毎日、ちょっぴりと寂しさを覚えるのだった。





ある時、少年がパッ、と山に来なくなった。

何かあったんですか?と尋ねても、両親夫婦は大したことではない、ちょっと病気になっただけです。と言葉少なに返すだけだった。
しかし、そのままとぼとぼと参道に上って行く二人の姿を見るに、私は何かただならぬ事態が起こっているような予感がした。
結局、その日は最後まで少年は現れず、私は一人さびしく暇を潰すことになってしまった。

それから一週間たっても、少年は現れなかった。
神奈子様や諏訪子様に聞いても、少年に何があったのかを親は話してくれないという。
しかし、あれだけ毎日勇んできていた少年がぱったりと来なくなるなど、どう考えてもおかしい。
私の疑念は、いよいよ確信に変わって行った。

(…よし、明日は何としてでも聞いてみよう)

私は、そう決意した。



翌日、参詣から帰ってきた少年の両親を捕まえ、何があったのかを強く問いただした。

「私もあの子のことが心配なんです。今彼がどうしているのか、それだけでも教えてくれませんか」

すると、少年の父親も私の熱意に負けたのか。チラッと母親の方に目くばせする。
そして、ちょっとここでは、と私に言うと、場所を移動するように頼んできた。
どうやらただならぬことが起こっているというのは間違いでは無かったようだ。私も真剣な顔で頷くと、参道から少し外れた場所に移動することにした。





「縮小病…!」

父親が打ち明けた、衝撃の事実に、私はしばらく絶句していた。
最近人里で流行っているという不治の病。老若男女問わず羅患すれば、治す術は無い。
かかった者のその体躯をみるみるうちに縮め、いつしか消えてなくなってしまう…という、そんな恐ろしい病気に、少年はかかっているというのだ。

「そんな…そんな…」

ショックのあまり、言葉を上手く紡ぐことが出来ない。
両親の話では、少年の体はちょうど1週間前からゆっくりと縮み始め、今ではもう5cmあるかないかまでになってしまっているという。
このままでは、私たちの大事な一人息子が消えてなくなってしまう。医者に薬師にと相談しても、みんな横に首を振るばかり。
どうすれば良いのかとすすり泣き始める母親、その悲痛な気持ちは、私も一緒だった。

―かわいい弟のように可愛がっていた…が消えてしまうなんて、そんなこと…!

その時だった。
父親の方が手をついて、私に向かって頭を下げてきたのだ。

―お願いだ、早苗さん。せめて、最後に、うちの息子に一目会ってやってくれないか。

突然の頼みに、私は狼狽する。しかし、父親はかまうことなく続ける。

息子は、こんな難局に立たされてもなお、早苗さんに会いたがってる。
いつか治って、また早苗お姉ちゃんに会って、不思議なこといっぱい見せてもらいたいって…。
だから、あいつが死ぬ前に、いつもあいつに見せてくれた『奇跡』を、もう一度だけ見せてやって欲しい…!

涙ながらに訴える父親の姿に、私はノーと答えることは出来なかった。
翌日伺いますと短く答え、私はその場を逃げるように寝所へと帰って行った。
―寝所までの参道を登っている途中、熱いものがこみあげてくるのを、必死にこらえながら。





「ふーん、縮小病ね。それはまた厄介な病気にかかったもんだ」

夕食を終え、私は神奈子様と諏訪子様に、今日あった出来事を話した。
少年のことは、お二人も良く知っていたので、心配そうな顔で私の話を聞いてくれた。

「そういえば、私も外の世界にいた時に、縮小病が流行ったことがあったなぁ」

ふと、神奈子様が思い出したように言う。

「えっ、お二人も体験されたことがあるんですか?」

「羅患はしてないけどね。民衆の間で広まって、取り返しがつかなくなって」

「そうそう。あの時は『疫病で国が滅ぶ!』って言って、どうなるかと思ったもの」

「結局、滅びるなんてことは無かったけど、だいぶ人口減っちゃったからなぁ。
私たちがもっと介入してたら、縮小病の蔓延も少しは食い止められたかもしれないね」

私の耳がピン、とその言葉を捕まえた。食い止められた?

「あの、それって、縮小病が治療できたってことですか?」

「え、あぁ、うん、そうだよ」

こともなげに諏訪子様が言う。しかしその軽い言葉に対し、私の鼓動が一気に高まる。

(その方法で、もしかしたらあの子を…!)

「あ、あの、すみません!もし良かったら、その方法を教えt「ダメ」」

えっ。言い終わる前に神奈子様ににべもなく断られ、私は虚を突かれる。

「な、何でですか?それを使えば、あの子を助けられるじゃないですか!」
私の言葉に、神奈子様は大きくため息をつく。そして、私の方に向き直ると、諭すような口調で言った。

「あのね早苗、私たちは何でも解決屋じゃないの」



神奈子様の話ではこうだ。

―あの時、私たちが介入しなかったのは、安易に奇跡を起こすと人々に奢りが生まれると思ったから。
―人間の中には、苦しい時の神頼みって言って、状況を自ら切り開く努力もせず、神様神様と祈ってばかりいるやつもいる。
―もちろん、あの時に我々が介入して奇跡を起こせば、人々は我々を感謝するかもしれない。信仰も一時的に増えるかもしれない。
―…だけどそれは同時に、人々が安易に神様頼りになってしまって、自らを良くしようという意識を奪うという可能性も孕んでいる。

―それって「神様」として、本当に正しい選択なんだろうか?

「ま、そう考えて見放した結果、人間が自分たちで努力して運命を切り開くことを覚えて。
それだけなら良かったんだろうけど、『運命は我々の力で切り開くから神様なんていらない!』ってとこまで来ちゃって。だから今こんなことになってるんだけどね」

自虐的に笑う神奈子様を、私は唇を噛みしめながら見つめる。そうだ、おっしゃる通りだ。

ここで少年を助ければ、確かに少年やその両親からは感謝されるし、私自身とても嬉しい。でももしそれが人間の里に広がってしまったら?
きっと、「早苗さんがいるから」と人々は縮小病に関する研究を止め、完全に私に依存しなければならなくなる。
そしてそれが他の事象にも波及していけば、やがて…。

「その子を助けたいという気持ちは十分に分かるよ、早苗」

黙り込んでしまった私を慰めるように、諏訪子様が話しかける。

「でも、神奈子の気持ちも分かってほしいな。私たちはあくまで見守る立場だってこと。奇跡をバーゲンセールみたいにポンポン出したら人間がどうなっちゃうかってのも、分かるでしょ?」

私はこっくりと頷く。でも、諏訪子様も神奈子様も苦しいんだろう。お二人とも、私に続けて掛ける言葉が見つからなかったようで、3人ともそのまま押し黙ってしまった。



沈黙の中、私は考えていた。

―奇跡って、何なのだろうか。
自慢ではないが、私たちは神様だ。神様は、何でもできるから神様と呼ばれ、崇められる。
だけど、いざ私が「何でも」をしようとすると、「それはダメだ」と押しとどめられてしまう。
このまま、あの子が消えて無くなって行くのを、黙って見ていなければならないのか。
人間の力じゃ本当の本当にどうしようも出来ないこんな時こそ、神様の出番じゃないのか。

私の脳裏に、少年のキラキラした笑顔が現れる。
私のことをお姉ちゃんお姉ちゃんと慕ってくれて、人間の友達の少ない私に、面と向かって「大好き」と言ってくれて。

―早苗お姉ちゃんって、何でも出来ちゃうんだね、凄いなぁ…!まるで魔法使いみたいだね!

そうだ、「魔法使い」なんて言われて、その時私は苦笑いしてたっけ。
お姉ちゃんは魔法使いじゃない、神様だっt



「ふふ…ふふふ…」

突然こぼれ出した私の笑い声に、諏訪子様と神奈子様がギョッと目をむく。
そうだ、そうだ、そうだ…!

「神奈子様、諏訪子様」

顔を上げて、すっ、とお二人に視線を向ける。
きっと私の思いつめた表情に驚いているのだろう。お二人とも呆然としながら私のことを見ている。
私は、はっきりと口を開いた。

「はっきり言います。私が起こしてるのは『奇跡』なんかじゃないです『魔法』です」

「「はあああ!?」」

驚きと呆れの混じった顔で、お二人がほぼ同時に叫んだ。
いきなりこんなこと言いだすなんて、思いつめすぎて頭おかしくなったんじゃないか、この子。と言わんばかりの表情。
しかし、私は構わず続ける。

「だから、これから私がやろうと思ってたことも、『魔法』なんです。安易に起こしてはならない奇跡とは違う、ただの魔法」

「何言ってるの早苗!貴方神様としての自覚h「ちょっと待った」」

私のハチャメチャな論理に激昂しかける神奈子様とは対照的に、諏訪子様が静かに話しかける。

「もう一度聞くね。今まで早苗が起こしてたこと、あれは全部『奇跡』じゃなくて『魔法』だって言うの?」

「はい」

「あの子が来るたびに天候を自在に操ったり、上から流れる水を下から流したり、しおれた花を再び咲かせたり。それも全部『魔法』だって言うの?」

「…はい」

うっ、とくる質問だったが、私はそれでも答えた。そして間髪いれずに言葉を繋げていく。

「そうです、魔法です。だって、そうするたびにあの子、喜んでくれるんです。
私のこと、現人神だって近寄りがたい存在だった私のこと、一人のお姉ちゃん、だって呼んでくれたんです!
…だ、だから、私はまだ、あの子のことを喜ばせたいんです!喜ばせなきゃいけないんです…!」

いつしか、私は泣きながらお二人に懇願していた。

「お願いです神奈子様、諏訪子様!その『魔法』を、私に教えてください!
…の病気が治れば、きっとあの子は喜んでくれるはずなんです!私は、あの子にとっての『魔法使い』なんです!
お願いです。あの子には、信仰される神様じゃなくて、何でもできる『魔法使い』のままでいたいんです!
神奈子様、諏訪子様、どうか、どうか、どうか…!!」

そのまま頼み込むように机に突っ伏し、号泣する。今まで溜めこんでいた苦しい感情が大爆発し、抑えきることが出来なかったのだ。
そんな私の様子を、諏訪子様と神奈子様はしばらくの間黙って見つめていた。
が、しばらくして、いきなり諏訪子様が大きな声を上げて笑い始めた。

「ハハハハ!そうか、そうかぁ。早苗はあの子にとっての神様じゃなくて『何でもできる魔法使い』さんか…!」

大爆笑の後くつくつと笑いながら、諏訪子様は笑い涙を拭う。
自分で言ってて、何と恥ずかしいんだろう。ようやく泣きやんだと思ったら、今度は顔が熱くなるのを感じる。

「いやぁ…、久々にいいもの見せてもらったねぇ。お姉さん、感動しちゃったよ。
『あの子には、信仰される神様じゃなくて、何でもできる魔法使いのままでいたいんです』…くぅ~!泣かせるじゃないか」

諏訪子様のイジリは止まらない。あぁ、もう、恥ずかしすぎます…!もうやめて…!
が、急に諏訪子様は私の肩に手をやると、優しい声でこう言った。

「…早苗。私たちの負けだよ。その『魔法』、教えてあげる」

「諏訪子様!」

顔をバッと上げて、私は諏訪子様と神奈子様を見る。お二人とも、やれやれといった顔をしている。

「しょうがないねぇ…。でも、絶対に他言無用だよ。…の親御さんにだって見せちゃダメ。それでも良いって言うなら、教えてあげる」

神奈子様の言葉に、私は大きく頷いた。





翌日、私は山を降り、人間の里にある少年の家へと向かった。
少年の両親は、暖かく私のことを出迎えてくれた。でも、私になかなか少年のことを切り出しては来ない。
痺れを切らした私は、早く少年に会わせるように急かした。



「…?」

少年の名前を呼び掛けながら、そっ、と寝室に入る。私は息を飲んだ。
そこにいたのは、懐かしい少年の顔。外見だけ見れば健康そのものの体は、しかしながら小さく、小さくなっていた。
だいたい私の爪と同じぐらいだろうか、そんな大きさに縮んでしまった少年が、あり合わせのもので作った手作りのベッドの中で、ぐっすりと眠っている。
少年のもとに近づくと、私は指先で少年の顔をそっと撫でる。サラサラとした髪の感触に、「んっ」という小さな声。

(かわいい…)

不謹慎ながらそんなことを思ってしまった私の一方で、少年はゆっくりと目を覚ました。

「…?早苗、お姉ちゃん…?」

「こんにちは、…」

目の前の巨人が私だと知った瞬間に、少年の寝ぼけ顔に笑顔が広がる。

「あぁ…!」

声にならない声で寝床から飛び出し、私のもとに駆け寄ってくる少年。そんな彼を私は両手で優しく包み込み、その胸に抱く。
久々の再会に、私も涙が出そうになるぐらい嬉しくなる。でも、今日は再会を喜ぶために来たのではない。
私はハグもそこそこに「ちょっと待っててね」と少年に言い残すと、そそくさと寝室を出た。



「今から明日の朝まで、二人になる時間を下さい。あと、内側からカギを掛けさせてください」

ご両親にいきなりこんなことを頼んだ時には、何と言われてしまうかと冷や冷やした。しかし、そんなワガママな頼みを、ご両親は快く承諾してくれた。
きっと、よっぽど会えなくて辛い思いをしていた分、この時間で思い残すことなく私と話しあって欲しいという、せめてもの親心なのだろう。
ご両親に丁重に礼を言うと、私は寝室に戻った。そして、扉をしっかりと閉めると、内側からカギを掛けた。

―ガチャリ

私と少年の、二人きりの空間が生まれる。
ゆっくりと私が近付くと、少年もまた寝床から這い出てくる。私は、先ほどやったように少年を掌に収めた。
そして、一週間もの間の空白を埋めるように、私たちは積もり積もった会話を少しずつ消化していった。

少年は元気であるということ。ずっと寝床に寝ているのが退屈だったということ。縮小病が治ったら、早苗お姉ちゃんのところに真っ先に行こうと思っていたこと。
参道の紅葉が綺麗に色付いたということ。妖怪の山の縁日に行ったこと。だけど本当は、…と一緒に行きたかったということ。

そして、他愛もない話を続けていると、少年のこの一言。

「ねぇ、早苗お姉ちゃん」

「ん、どうしたの?」

「また、不思議なこと、見せて欲しいな」

サイズが変わっても、声のトーンは変わることは無い。いつもの日常の、いつものテンションで話す少年。
きっと心中怖いだろうに、それでも私の『魔法』を見たがる少年の純粋な願望に、私は胸が熱くなるのを感じる。

「…うん、いいよ。しばらく見れなかった分、今日はいっぱい見せてあげる」



少年のお望み通り、私はたくさんの『不思議なこと』を見せていった。

天候を操り、少年の家の周りだけいろいろな天気にする。
カンカン照りの晴れ、どろんとした曇り、バケツをひっくり返したような大雨、ついでに雹まで降らせてしまう。
雪を降らせると気温が下がり、さすがに寒いのか少年は私の手の中で丸くなる。
それを優しく包み込み、また晴れに戻してあげる。

続いて取り出したるは、コップに入った水。
私がむん、と念じると、コップの水がたちまちお湯になり、氷になる。
そして再び水に戻すと、今度はそれを水玉にし、シャボン玉のように浮かべる。と、突然少年をその水玉の中に放り込んでしまう。

パシャッ!

少年は驚いてもがく。でも慌てることは無い。息は出来るようにしてあるから。濡れる心配も全くないから。
初めのうちは驚いていた少年も、やがてゆったりした気持ちになり、私の作った水玉の中でうつらうつらし始める。
と、それを見計らって水玉を弾く。パチン!
水玉が弾け、飛び出してきた少年を掌で受け止める。もう少年は大喝采だ。早苗お姉ちゃんの魔法、凄く楽しいね!
心から嬉しそうな少年の言葉に、私もにっこりと笑みを返した。





やがて、思いつく限りのネタをやり終え、私と少年は疲れた様子で座っていた。

「はぁ~、いっぱい早苗お姉ちゃんの不思議なこと見ちゃったなぁ。やっぱ早苗お姉ちゃん、凄いなぁ…」

少年が誰ともなしにつぶやく。とはいえ私の方も力を多く使ってしまい、結構疲れてしまっていた。
時計を見ると、今は夕方の5時半。
よし、そろそろいいかな。私は、気合いを入れなおす。これから始まる。一世一代の『魔法』のために。




「ねぇ、…」

「何?早苗お姉ちゃん」

「私ね、実はもう1つだけ、凄く不思議なことが出来るんだ」

私の言葉に、少年が敏感に反応する。

「えっ、まだあるの?見たい見たい!ね、一体どんなことしてくれるの?」

少年がキラキラした目で見つめてくる。キュンとする胸の高鳴りを抑え、なるべく静かに答える。

「えっとね、…が、すっごく幸せになれること」

「?」

少年が首をかしげる。しかし私はそんな少年を気に留めず、再び掌へと乗せた。


「見せてあげるね。…のための、私の、最後の魔法」


その言葉の直後、私は小さく詠唱する。と、少年がガクッと膝を付く。

「あれ、お姉ちゃん…。僕、何だか眠く…」

とろんとした目で私を見つめてくる少年。それを私は掌ごと、自分の胸で包み込む。

バフッ…

少年にとっては巨大すぎる私の胸の中に少年を抱き寄せ、そのまま船を漕ぐように少年を眠らせる。
やがて、胸元からは少年の小さな寝息だけが聞こえてきた。けっこう強力な呪文だから、しばらくの間少年が起きることは無い。
だが、私の『魔法』はこれで終わりではない。むしろ、ここからが本番だ。
私は胸から手を離し、片手に少年を移し替えると、私は指先を駆使して少年の寝巻を剥いでいく。
初めて見る少年の真っ白な裸体に若干ドギマギしつつ、そのまま少年を摘み上げると、私の顔の前に持ってくる。
人差し指と親指の間でくぅくぅと眠る、小さな少年。その姿に、母性本能を擽られない者などいないだろう。
私はそんな少年の様子を見て一瞬躊躇したが、すぐに覚悟を決めた。

ポイッ

少年を、口の中へと放り込む。そしてそのまま私は口を固く閉じてしまった。





そう、今からやろうとしているのが、私のかける『魔法』。

少年を私の体内に送り込み、それに取りついているケガレ、いわば病気を落とすという方法だ。
もちろん、100%上手くいくというわけでは無い。もし上手くいかなかったら私は人殺し。
可愛がってきた少年をこの手で殺めてしまったという苦しみを背負って生きていかなければならない。

しかし、そのようなことを脅し気味に神奈子様に言われても、私の信念は揺らぐことは無かった。

…の病気が治る可能性が少しでもあるなら、たとえ失敗して人殺しのレッテルを貼られても構いません。
人間を飲み込むという異常なことであっても喜んで受け入れましょう。そもそも、小さいころから見知った…を飲み込むことに何の抵抗がありますか。

私の激しい熱意に、神奈子様も大丈夫だと思ったのだろう。
ならば、やってみなさい。もし何かあっても、私たちがバックアップするからと、私のことを許してくれた。





口内に収めた少年を、優しく舌で転がす。
ちょっぴりしょっぱくて、それでいて子供らしい柔らかな肢体。人間って、こんな味がするのか…。
その時、一瞬だけ背徳的な感情が頭をもたげたが、私はすぐにその煩悩を取り払った。

―何を考えているんだ、私。この子のために素敵な「魔法」をかけてあげるんじゃないか。

そのまま、いやらしさを感じさせないような舌さばきで、少年の体を舐めまわし、唾液と良く混ぜ合わせる。
そして、自分の気持ちが完全に落ち着いたのを確認して、舌をゆっくりと持ち上げた。

―ゴクリ

口内にあった少年の感触が、喉の方に移る、そして、下へ、下へ、下へ…、消えた。
彼を胃の中に収めたことを確認すると、私は優しく腹部を撫でる。そして、

「すぅ…、はぁ…」

ゆっくりと、腹式呼吸。少年は眠っているので、その感触は私には伝わってこない。ただ、若干お腹が暖かくなっているような気がする。

すぅ…、はぁ…、すぅ…、はぁ…、すぅ…、はぁ…、すぅぅ…、はぁぁ…!

暖かい感覚が、だんだんと熱いものに変わってきた。少年が入ってきたのを感知して、胃の周りに血流が集まってきたのだろうか。
胃がぐるるる…と鳴るたびに、熱い鉛が動いているような気持ちになる。熱くてたまらない!
呼吸が速迫してくる、苦しい。いつの間にか私の目には涙が溜まっていた。それでも、呼吸を止めない、止めるわけにはいかない。

(…の病気を治すんだもの、…に幸せにしてあげるって約束したんだもの、これぐらい、これぐらい…!)

もう私の腹部は熱いどころの騒ぎではなくなっていた。息をするたびに焼きつくような痛み。
胃の蠕動も激しく、少年を溶かし、私を苦しめてくる。

頑張れ、頑張れ、私…!耐えろ…!…でも、もう、ダメ…ぁ…。
呼吸を止めそうになった、その時だった。

スッ、とさっきまでの焼けるような熱さが、嘘のように消える。それと同時に我に返った私を襲う、びっくりするほどの疲労感。
上手くいったのか。そんなことを考える間もなく、私は部屋の壁に寄り掛かる形で、気を失ってしまった。





少年は、夢を見た。
暖かくて、フワフワ、ぐにぐに。何やらそんな柔らかい空間の中で、少年は休んでいた。
体を動かそうにも、疲れているのか、あるいは何かに絡め取られているのか、うまく動くことが出来ない。
でも、不思議と恐怖心は無く、むしろ落ち着いた気持ちで、彼はまどろんでいた。

やがて、受け止めていた壁が、優しく動き始める。それは彼を包み込むように蠕動し、少年の体を揉みほぐす。
抵抗する気力もなく、彼はなすがままに弄ばれる。それでも、嫌な気持ちにはならない。

―不思議だなぁ、これも早苗お姉ちゃんの「魔法」なのかなぁ。

そんなことを考える少年の足元からは、程良く暖かな液体がしみ出て、満ち潮のように少年の体を浸していく。
と同時に、少しずつ、その液体の中に溶けだしていくような感覚。あれれ?何だ、これ?
身じろぎしながら足元を見ると、自分の体が砂粒のように崩れ、液体の中に入って行く様子が見て取れた。

本来なら異常すぎる状況。それでも、少年の心はやはり静かだった。
体の自由を奪われ、溶かされてしまう夢でも、それ以上に心の中に、懐かしさと安らぎが満ち溢れていたからだった。

―あぁ、やっぱり、早苗お姉ちゃんの「魔法」だったんだな。

そう思うと、少年は嬉しくなる。そしてそのまま安心すると、再び目を閉じる。
体が溶けだす感触はまだ続いている。周りを柔らかいものに揉みほぐされながら、脚、腰、胸、頭…

そこで、少年の意識は、ぷっつりと途切れた。





「…」

どれぐらい経っただろうか。深い眠りから私は目覚めた。
まだはっきりしない頭で周囲の状況を見る。あのまま、眠ってしまったようだ。時計は…今深夜2時過ぎか。
真っ暗闇の中、二人の呼吸以外に、何も聞こえるものは無くて

(二人…!?)

鼓動が高まる、私以外に、誰かこの部屋にいる。もしや、もしや…!
手探りで辺りを見回す。と、すぐ隣に、私とは別の温かな感触。

(!!!)

私と同じサイズで、同じ格好のまま、壁によりかかり、すぅすぅと寝息を立てている少年が、そこにはいた。




成功したんだ…!喜びのあまり、それが歓喜の叫びとなって口を衝こうとする。
が、少年を驚かせてはいけない。私は、なるべく平静を装いながら、少年に声をかけた。

「…?」

と、まるで私の声を待っていたかのように、少年が目を開ける。

「さなえ、おねえちゃん…?」

懐かしい声、懐かしい表情。だが、少年はまだ覚醒しきっていないようだ、夢うつつな声で、私の名前を呼ぶ。
と、彼も、自分の体に訪れた変化に気付いたようだった。

「僕、もとの大きさに…」

私は大きく頷く。声に出せば、泣き声になってしまうと思ったから。
でも、少年にはそれで十分だった。寝ぼけた顔に混じって、彼の顔に笑みが広がる。
良かった…!病気、治ったんだ…!

「早苗お姉ちゃん、ありがとう。僕、今、凄く幸せだよ…!」

もう少年の顔が見れない、うつむいて、顔をふるふると振る。いつの間にか私はすすり泣いていた。
熱い涙が頬を伝って、ぎゅっと握りしめた手の甲に落ちる。

そしてそのまま私は勢いにまかせ、少年を胸の中に抱きしめる。

「お姉ちゃん…?」

突然の行動に、不思議そうに彼が尋ねてくる。そんなことお構いなしに、私は彼を強く抱きしめる。

―もう、離したくない…!消えて欲しくない…!

しばしの沈黙。しかし、少年がフッと顔を離すと、私にまた笑顔を向ける。そして、ぽつりと一言、私に呟いた。


「何か、今日の早苗お姉ちゃん、魔法使いじゃなくて、神様みたいだね」


そう言う少年の笑顔にも、一筋の涙が流れていた。





翌朝、少年の両親がどれほどに歓喜したのか、ここで改めて書くまでもないだろう。
ただ、そんな両親に対して、私は「今日あった出来事は絶対に話さないでくださいね」とだけ残し、そのまま山へと帰って行った。




「早苗お姉ちゃん、こんにちは!」

あの日から、再び少年は、私のもとにくるようになった。そんな彼を、私はまた、いつものように笑顔で迎える。
そして、お互いに近況を語り合った後。また、あの一言がくるのだ。

「ねぇ、お姉ちゃん、またい~っぱい、不思議なこと見せて!」





ぼくのしりあいに、すごいおねえちゃんがいます。
そのおねえちゃんがじゅもんをとなえると、いろんなふしぎなことがおきるのです。
ぼくが「あめをふらせて」といえば、おねえちゃんはあめをふらせてくれます。
それから「はれにして」といえば、たちまちあめがやんでしまいます。

だけどこのあいだ、ぼくがおねえちゃんのことを「まほうつかいだ」っていったら、おとうさんとおかあさんにおこられてしまいました。
「あのおねえちゃんはまほうつかいじゃないよ。かみさまだよ」って。
だけど、たとえかみさまでも、ぼくにとっておねえちゃんは、ふしぎなことをいっぱいみせてくれる、すてきなおねえちゃん。
ぼくは、そんなおねえちゃんのことが、だいだいだーいすきです!!







END