深夜二時、草木も眠る丑三つ時の命蓮寺。
みんなが寝静まったのを見計らって、私はご主人の部屋へと忍び足で忍び込んだ。

「zzz…」

村紗や一輪たちとは違う少し離れた部屋に敷かれた布団から、寝息が聞こえてくる。
その寝息の主は、私のご主人である、毘沙門天の使い、寅丸星。
私はご主人を起こさないように、その枕元に近づくと、静かにこれから行うことの準備を始めた。

私の胸元から取り出だしたるは、一般にバイアル瓶と呼ばれる、液体の薬剤を入れる瓶。
少し前に、竹林の薬師から貰ってきたものだ。
しかし、今日はこの中に薬剤を入れているわけではない。まぁ、ある意味「薬剤」と言った方が良いのかな。
そんなことを考えつつ私はバイアル瓶の中を覗き込む。

瓶の中にいるのは、ゴマ粒…のように小さくされた、子供から大人までの男たち。
なるべくパニックを起こさないように、今は眠ってもらっている。
きちんと眠っているな、よしよし。だいたい10~20人ぐらいの人々を横目に、私は次の作業に移る。

「ムニャムニャ…お腹空きました~…」

これから起こることなどつゆ知らず、呑気に寝言をのたまっている。
まぁ、当然だ。この時のために、あえて夕飯を少なくよそっていたのだから。
そんなことを知らずにパクパクとご飯を食べていたご主人を思い出し、私は黒さを含んだ思い出し笑いをしてしまう。

一方、私の方はというと、小さなピンセットを取り出していた。
そして、ためらいもなくバイアル瓶を開けると、その中にピンセットを突っ込み、ゴマ粒人間を一人取り出す。
年はだいたい20前半か。「栄養剤」としては申し分ない。
さすがにピンセットで持ち上げられたのに気付いたのか、男はその先でゆっくりと目を覚ました。

「…、…!!~~!?~~~~!!!!」

何やらキーキーとがなっている。しかし小さすぎて良く聞きとれない。
はは、君がどんなに叫んでもこっちは痛くも痒くないんだよ。
私は鼻で笑いつつ、男を摘んだピンセットを、ご主人の口元に持って行く。
さっき寝言を言っていたおかげで、ご主人は少し口を開けている。そして、

「じゃあね」

パッ、とピンセットを離す。男の悲鳴が、ご主人の口の中に消えていく。と、

「う~ん…♪」

夢の中で、何か美味しいものでも食べているんだろう。
ご主人が口を閉じると、そのままもごもごし始めた。もちろん、その中に、ゴマ粒サイズしかない男を含んで。
そう、これが私の密かな楽しみ。無意識のうちにご主人に縮められた人間を食べさせ、それを美味しそうに舐り、胃の中へと送り込む様子を観察する。
何と背徳なことだろうかと、我ながらゾクゾクしてしまう。
やがて、ご主人のモゴモゴが止まる。来たかな、と、私は耳をご主人の喉元に近づける。

―ごっくん…

背中に電流が走るような刺激。たった今ご主人の唾液と一緒に、人間が飲みこまれたのだ。
残念ながら人間の悲鳴まで聞くことは出来なかったが、ごっくんという嚥下音だけでも、私を興奮させるのには十分だった。

(もっと、もっと、ご主人の背徳的な姿が見たい…!)

私は高ぶりそうになる息を殺しながら、次の「栄養」を取り出した。





一体何でこうなってしまったのか…。今置かれている状況を説明しても、きっと誰も信じてくれないだろう。

「誰かに巨大なピンセットで摘まれて、釣り下げられている」など。

初めは巨人の国に迷い込んでしまったのかと思った。野良仕事を終え、帰路についた時に誰かに後ろから殴られ、気を失って。
そして今、俺を摘んでいる女(暗くて顔は良く見えないが)が、俺のことを見ているのは分かる。
一体俺はどうなるんだろうか、意識が覚醒するにつれ、恐怖心が増幅されてくる。

―スッ

俺を摘んだピンセットが、音もなく動き始める。しばらくの移動の後、着いた所は、熱い空気が出入りする縦穴の入口。
何だか凄く嫌な予感がする。冷や汗が噴き出てくる。しかし俺の気持ちを知ってか知らずか、ピンセットはそのまま洞窟の中へ…

ピトッ

いや、中までは入っていかない。何か皺のある柔らかいところに俺を捕まらせると、そのままピンセットは俺のことを離し、上空に戻って行ってしまった。
とっさに俺はそこから逃れるように上へと登り始める。少しねっとりとした粘液に濡れた場所。
そこが何者かの唇だということに気づくまで、そこまで時間はかからなかった。

(逃げなきゃ、食われる!)

唇の主はどうやら寝入っているらしい、暖かい空気と冷たい空気が規則的に入れ替わっている。
時々背後から、クチャッ、クチャッという水音が聞こえてくる。その音の正体も分かる。
というかそこに落ちてしまったら、俺はもう外に出ることは出来ない!
慎重に、慎重に唇を登って行く。やがて、視線の先に外界が広がってくる。

もう少しだ!焦りで大きく体を動かしたのがまずかった。

―れろん

背後に感じる分厚い弾力をもった何か。それは、俺の体をサッと掠め取ると、そのまま分厚い肉で俺を包み込む。
そして、俺に声を上げさせる間もなく、真っ暗な洞窟へと消えていった。





あーあ、もう少しだったのにな。私は心中くすくすと笑う。
目の前には、先ほど男を舌で舐めとったご主人が、美味しそうな顔をして舌をれろれろと動かしている。
あれだけの据え膳を食らったのだから。きっと口内は唾液の海だろう。

―ごくっ

先ほどよりも多い唾液に巻き込まれて、男が飲みこまれて行く様子を観察しながら。私は次の人間をピンセットで摘み出した。




―ごくん。

だいたい30分ぐらい経っただろうか。バイアル瓶の中の人間は、ついにあと一人残すのみとなった。
ふぅ、と私は一息つく。今夜の愉しみも、これで終わりか。

集められた男たちは、それはそれは十人十色な反応を見せて、私の目と耳を楽しませてくれた。


―必死の抵抗むなしく、ご主人の舌に絡め取られて嚥下されてしまった屈強な青年。
―恐怖のあまり声も出ず、なすがままに飲み込まれた草食系男。
―自分がもう逃げ場が無いということを悟ったのか、狂ったように笑いながら食べられていった中年男性。


それを一人一人良く味わいながら、幸せそうな顔でゴクリ、またゴクリと嚥下していく。そんなご主人を見るたびに、私はひどく興奮した。
こんな性癖、妖怪とは言え他の連中には教えられないな…。と、私はバイアルの中から最後の人間を取り出す。

最後に出てきたのは、まだ年端もいかない少年だった。だいたい10歳前後か。
私と同じぐらいの体格に、まだあどけなさが残った顔。その表情は、可愛らしささえ感じるものだった。
バイアル瓶から取り出してもまだ眠っていたので、私は少しピンセットを揺すって少年を無理やり起こした。

「…?…!?」

覚醒した少年は、今置かれている状況にひどく狼狽している様子。当然だ。と私はまた小さく笑った。

(大の大人でも恐怖におののくのに、君みたいな子供が恐れるわけがないだろう)

さて、と、私はご主人に目を向ける。ご主人は相変わらず深い眠りについている。
が、いつの間にこんな表情になったのだろう。舌をだらしなく出して、口で息をするように眠っていた。

(舌か…、よし)

ご主人の表情にとあるインスピレーションが浮かんだ私。
恐怖のあまり声も出せない少年を、ピンセットごとご主人の口元に持っていく。そして

ピトッ

だらしなく出されたご主人の舌の上に、少年の体を乗せる。舌からピンセットを離すと、唾液の糸がくっついてきた。
そしてそのまま、舌に乗せられた少年を見守る。ご主人の厚ぼったい、綺麗なピンク色をした舌の上で、ゴマ粒少年が小さくうずくまっている。
きっと今、自分が置かれている状況を把握したんだろう。私は少年の絶望感を想像するに、今までにない興奮を覚えるのを感じた。


が、それからしばらく少年の観察を続けていたが、いっこうに動きは見られなかった。5分、10分、15分…。
そしてご主人も相変わらず眠ったままだ。普通だったら舌に乗ったものはすぐに食べてしまうお方なのに。20分、25分、30分…!?


いつまでも動きを見せない二人に、とうとう私は痺れをきらしてしまった。よもや恐怖のあまり気絶したんじゃないだろうな。
そっとご主人の舌に、耳を近づける。そこで聞いたのは、意外な音だった。

くー、くー、くー…

(この子、寝ている…!)

拍子抜けな答えに、私は思わずズッコケそうになってしまった。
今まさに食べられるかもしれないといった、人生破滅か否かの大ピンチなのに、眠ってしまうか、普通!?
が、そんな拍子抜けな気分は、だんだんと怒りに変わってきた。
ただでさえ夜遅くに秘密裏に愉しもうと思っていた時に、こんなバカなことで時間を使わせて…!

私はピンセットを少年に向けていた。そして、そのままその先端で少年を乱暴に突く。おい、こら、起きろ!

―むに、むにっ、むぎゅっ。

予想外の感触に、ピンセットを思わず引っ込めてしまった。
少年の、いや、それを乗せているご主人の舌の、肉厚な柔らかさ。それがピンセットを通じて私の手元にまで伝わってきたのだ。
ピンセットで少年をつつけば、容易にその体を受け入れ、沈ませてしまうご主人の舌。
極上ベッドなんて言葉では勿体ない。こんな柔らかいところの上に、少年は乗せられているのか。

違う意味で、私の息が荒くなってくる。も、もう一度、ご主人の舌を感じてみたい…!
ゴクリと喉を鳴らすと、今度はピンセットではなく、指先で少年の体(とご主人の舌)を触ろうとする。その時だった、

「んあ~…、むにゃむにゃ、れろん…」

私が舌を触る前に、ご主人が舌をくねらせ、口の中に収めてしまったのだ。しかし、私はしっかりとその目で捕えた。

ご主人の舌がまるで一つの生き物のように少年を優しく包み、口の中へと消えていく。
それはあたかも、私の指先から少年を守るかのように。

そのままご主人は体勢を変えると、まるで猫が丸まるようにして布団の中へと潜って行ってしまった。
が、私はしばらくその場を動けなかった。入ってきたときとは違う、また新たな感情。それが私の心の隅に頭をもたげてしまったらしかった。

このままじゃ、頭がおかしくなってしまう。私は、ご主人の嚥下音を聞く余裕すらなく、そそくさと部屋の外へ退散するしかなかった。




―今思えば、あの時ご主人がきちんと少年を嚥下したことを確認しておくべきだったと思う。賢将である私らしからぬ、一生の不覚だった。




翌朝、いかんともし難い気持ちを抱えながら、私は顔を洗っていた。と、その時、後ろから聞こえてくるその原因の主。

「あ、ナズーリン。おはようございます」

「おはよう、ご主人」

なるべく自然な態度で、受け答えする。しかし目移りするのはご主人の口元。
そんな様子を知ってか知らずか、ご主人が急に声のトーンを落とした。

「あの…ナズーリン。朝からで申し訳ないんですが、ちょっと相談が」

「え?」

また宝塔ですか?私は呆れたように尋ねる。しかし、ご主人の答えは違った。

「いえ…、今朝起きたら口の中に違和感があって。それで口の中を調べてみたら、この子が私の舌の上に乗ってたんです…」

すっ、と人差し指を出すご主人。その上には、ゴマ粒のように小さな少年が、何ともバツの悪そうな顔で立っていた。







END